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23.10.26 芝ア昭夫(記) 先日、堀さんからの連絡で鶴田先生が亡くなられたことを知った。にわかには、とても信じられない気持ちとともに、自分の残りの命について改めて考えさせられた。 鶴田先生はかつて大阪支部長を担っておられ、午餐会の席でお会いしていた。そんな中、2012年の午餐会に出席の折、鶴田先生から声を掛けられた。趣旨は「NHKのど自慢」を見て小生がテニス愛好者であることを知り、同好会を立ち上げましょうとのことだった。 ※実はシニアの国体と言える「ねんりんピック」で、硬式テニス部門の滋賀県代表で参加した私を含む3人が「NHKのど自慢」に出場、それを偶然鶴田先生が見ておられた。 鶴田先生からの提案に対し、正直な気持ちとして余り乗り気になれなかった。実は地元守山でのテニス活動が結構忙しく、遠方に行ってまで・・・と躊躇の気持ちが大きかった。しかしながら折角の提案をむげに断ることもできず、前向きに考えましょうとの話になり、まずはテニス愛好者を探したところ、宮本さんと池田さんが名乗り出た。そこで1回目の活動を宮本さんの地元大津の瀬田川沿いのコートで、4人で行うことになった。(2012年11月19日:4人だけではとても体力が持たず、宮本夫人にも参加してもらった) テニス終了後大津市内のレストランで懇親会を行い、宮本さんを会長に、ジャーナルで会員募集のPRを行うことにした。そして2013年3月、同じ大津のコートで第2回活動を行い、金子さんが新たに加わった。なお早速ジャーナルでのPR効果が出て、記事を読んだ茅野さんが第3回から参加することになった。(2013年4月:守山市民コート) その後第4回(同年6月)から原さんが、第5回(同年9月)から岩田さん、篠田さん、神山さんの3名が、第8回(2014年9月)から長井さんが加わり、参加メンバーが徐々に増えていった。 この頃から守山近辺のコートを使用するようになった。15時までテニスでたっぷり汗をかき、終了後は市内の温泉施設「ほたるの湯」に移動、ゆったりと温泉に浸かって疲れを癒やし、その後施設内のレストランで懇親会を行うことが定番となった。奈良県桜井市に在住だった池田さんは、昼間所用で来られない時も片道2時間以上かけて、懇親会だけに参加されることも度々あった。(それだけ楽しい集いだった) この懇親会では毎回様々な話題で盛り上がり、ある時「関西蔵前テニス同好会」の活動範囲を広げるべく、「海の幸」が味わえる若狭(福井県)への1泊遠征を行うことになった。早速、第12回活動として2015年6月、鶴田、金子、原、長井、芝アの5名が車で若狭に遠征した。原発で有名な美浜町のコートで熱戦を行い、テニス終了後、三方五湖が眼下に展望できるレインボーラインを経由、常神半島小川地区の「はまち旅館」で「海の幸」を満喫した。なおこれをきっかけに、現在も年中行事として「若狭遠征」を継続している。 その後、第13回(2015年9月)から堀さん、第18回(2016年10月)から兵東さん、別所さん、第21回(2017年6月)から比嘉さん、第30回(2019年4月)から宮後さんが加わり現在に至っている。なお若狭遠征は「テニス&海の幸」に加え、麻雀(若狭の戦い)も含め「一石三鳥」を狙ったイベントに発展、宮本さんの提案で民宿に麻雀用具2式を預けるまでになった。宮本さんはテニスより麻雀を好む傾向にあり、噂によれば遠征の前日「てるてる坊主」を逆さにし、雨乞いをしていたそうである。深夜2時近くまで付き合わされ、翌朝は6時に起こされ、朝食までの寸暇を惜しんでの戦いを強いられたが、とにかくお元気だった。 今振り返ると、2019年12月の若狭遠征(第34回)が最高の思い出となっている。この遠征には総勢13名が参加したが、結果的にはこれが宮本さんの「テニス同好会イベント」最後の参加となってしまった。この日は雨のため小浜市の室内コートでテニスをしたが、宮本さんは一足先に民宿に行き「若狭の戦い」を優先した。夕食後、宮本さんたち4名の麻雀組を除く9名はカラオケを楽しみ、大いに盛り上がったことを思い出す。(HP参照) なお、鶴田先生は奥様介護のため、2回目以降の若狭遠征には参加できなくなったが、宮本さん、池田さんとの初回テニスから今年まで、遠征以外はすべてに参加されていた。以前は「ほたるの湯」にも一緒に行っていたが、最近は関空近くのご自宅から車で来られ、テニス終了後は奥様の介護のため「とんぼ返り」するパターンだった。今年も5月2日にいつものように希望ヶ丘のコートで合流し、相変わらずストレートへのハードヒットを連発されていたが、まさかそれが最後のテニスになろうとは・・・ 鶴田先生が亡くなられた今、初回からのメンバー池田さんを含めた不思議な「ご縁」を以下にご紹介します。関西蔵前午餐会が7月25日に開催された。世話役長井さんの配慮でこの日「池田さん有り難うございます」のタイトルで、永年にわたり午餐会の運営に貢献された故池田さんを偲ぶ会が、奥様と娘さんをお招きして行われた。鶴田先生は最近午餐会にあまり出席されることがなかったが、この日参加されて以下のお話しをされた。2007年に池田さんが奈良の歴史に詳しいことを知り、歴史探訪を兼ねてハイキングの提案をしたところ快諾を得て、2008年6月からガイド役の池田さんを中心にこのイベントが始まった。ハイキングがてら歴史の勉強もできる一石二鳥の活動になった経緯を鶴田先生が詳しく説明された。(ジャーナル最新号にこの時の鶴田先生の写真あり) ※関西蔵前5支部HP「ハイキング」も参照下さい。詳しい記録が残されています。 鶴田先生からの「ハイキングと池田さんの関係」説明に続き、先生の右隣にいた小生が「テニス同好会」の設立の経緯(鶴田先生の提案、池田さんの参加)並びに思い出話しを紹介した。この二つのイベントと池田さんとの関係について、午餐会でご家族は初めて詳しく知ったご様子で、奥様と娘さんが大変感激されていたのが実に印象的だった。 今から考えると、まるで鶴田先生が池田さんの弔辞を読み、3ヶ月足らずでご自身が池田さんに会いに行かれてしまったようにも思えるが、二つのイベントの提案者の鶴田先生と、その二つに深く関わられた池田さんとの「不思議なご縁」を強く感じた次第です。 ここに改めて鶴田先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。合掌。 以上 |
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