平成30年1月午餐会_報告(第710回) |
平成30年1月9日(火)開催 |
演題:『戌(いぬ)歳の歳男 抱負の会』
2018年は『戊 戌(つちのえ いぬ)』です。 歳男は S9・S21・S33・S46 の生まれです、うち 3名の方からお話しを聞きました。
直近-この15年間にわたる、身辺できごと・自分の活動を整理・総括して、『わたしの終活』と名付けたお話とします。 | ||
【はじまりと結論…いまの自分をふり返って】 | ||
約15年前です、現役をリタイヤして年金生活に移った直後に奥様が急逝、茫然・大ショック、 これがスタートでした。 このときまで大阪府交野市の自宅住まい、夫婦+ご長男(障害者で自立にサポートが必要)の3人家族から 突然 『2人だけの生活』に急変です。 会社勤務の間、一貫-専業主婦で自宅の一切 (家事・近所等のすべて) を仕切っておられた奥様が、 『急性くも膜下出血』による発作-1週間後に急逝。 家事一切の指導を(関東住まい-次男の奥様から)うけることからスタートして、 自宅で2人きり(だけの)生活が始まりました。 |
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【Task 2項目をつくり、まず@をやり遂げる 】…サマザマを検討・考慮して、 この時にTask2項目を設定しました。 @ (障害者の)長男が一人で将来にわたって生活できる環境を作り上げること A (身辺を整理して)自分一人に、ナニが起きても対応できる生活基盤を作る(⇒老人ホームに転居する) |
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自宅から 作業所 ( 福祉法人が運営) へ通所している長男に、 「(グループ生活が可能な)ケアホーム」を設立した (行政・仲間との協力環境を作り 6年を要した) 。 ここで @Taskを成就☆することができた( 76歳のとき) が、 しかし、引続きのサポートが必要 、これ (自宅からのサポート※) をさらに 続けた。(TaskAを進めながら) ☆@ Taskをふり返って: グループ(ケア)ホーム作り(設立と設置完成…計6人が入居・生活している)に際して、 関係する法人と 自治体から大きなバックアップが得られた。 そして、仲間との長期間協力により達成でき、まことによかった。 |
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【Task A にとりかかる】…グループのケアホームを作りTask @の将来見通しを得られたので、 次にATask(所要約2年)へ取りかかりました。 ただ、「宝塚-エデンの園」入居準備を整えたのちも、計5年間の2重(交野&宝塚)生活によるサポート※を要した。 【(終の棲家として)宝塚-エデンの園 を選んだ由縁・判断条件など】…TaskAのその1(約2年かかった) |
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高年齢者に適切な住居である、と考えられる条件・環境については多くの議論と整備が進められている。 ⇒ 第709回午餐会-竹田秀道様資料もご一読ください(HP担当より) (あちこちで、新築・改装事例が 多数あります ) その中で固有の条件として以下4項目を最重要と考えて、調査・判断・決定した。 1.「有料老人ホーム※1」であること(※1: 将来にわたって安定経営で継続運営が 2.職員の教育が行き届いていること 可能な企業による施設であること) 3.「適当規模の大きさ※2」があること (※2:施設内が1つの「老人社会」を構成することになるので、 ・各種設備、サークル(32種あり)等が多数あり、その中から好みに応じた選択肢を作れること ・食堂などの共用する生活施設が複数あること (対人関係を円滑に構成するために) など、それなりの規模・多様性を包み込める規模を有する施設でなければならない) 4.さらに (万一のとき必要になる)介護体制※3が、しっかり確立されていること (※3:但し、入居契約に際しては、健康であることが基本条件である) ほかに、周辺環境(例:ゴルフ場…、趣味…)・知人 知り合い(同期生がカップルで入居している)など さまざまの気づき・判断を踏まえての選定で、最終決断までには、体験入居(数回)での確認も行った。 またこの過程で、他の施設 (宇治の某…里 など何カ所か)も体験入居含めて比較検討行った。 |
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【Task A−その2】…旧居の整理・売却、 H28年に 実行、新築時の建築業者(M ホーム)の連携サポートは大きな力になった。 |
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サマザマの対応を進め、最終的に H28/10(83歳時点で)現在住居(宝塚市内)に落着くことができた。 この転居 (旧-自宅の整理=いわゆる断捨離 ) について、あれこれの苦労は大変大きかった。 |
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【(最終-大問題としての)断捨離について】 | ||
いよいよ、旧住居売却を含めて問題点を解決して、転居作業に入った。 ここで、自宅内の整理が、まさに大変・難題である。これを済ませて、改めて感じた結論! ・「断・捨・離」−とても難しい! (時期的に相当の前)早くから しっかり進めること 必須事項。 (具体的に最終段階では 隣家 での 『一時預り』ご協力まで 頂いた(仰いだ)。感謝々々!) ・『元気』の間に、老人ホームに移っておくべし! (1人 or カップル 如何を問わず。受入側の体制含めて…) |
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以上 |
2.(兵庫県支部)兵東 勇 さま( 72歳を迎えます、S44 電気 元JR西日本)
【はじめに】 | ||||
冒頭、昨年12月に発生したのぞみの台車亀裂の重大インシデントは、まかり間違えば、 重大な結果を招く恐れがあり、運がよかったとしか言いようがないが、 しっかりとした対策が講じられることになると期待している。 事故といえば、最近、いくつかの企業の品質管理の問題について報道されているが、 国鉄時代に経験した安全への取り組みを改めて思い出します。 |
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【 素晴らしい先輩がいたこと 】 | ||||
鉄道事業に事故はつきものだが、国鉄では発生した事故を公にしないという習慣が根強くあり、 公式の文書報告をせず、内部的に『マルにする』と言い慣らわしてきた。 当時運転局長だった山之内秀一郎氏(JAXA理事長歴任)は、こういうことでは、 再発防止策が立てられず安全確保につながらないという考えから、 すべての事故を報告し、対策を講じるべきだと訴えた。 これを言い出したとき(S60年頃)、幹部から現場まですべての職員が反対したが、 『事故の正しい把握』を強く主張して実行し、 組織風土の改革・革新を成し遂げた。 これにより事故の劇的な減少という結果を生み出し、 後のJRでも生かされ、民営化成功の大きな要因のひとつとなった。 |
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【少年時代の想い出から…振り返って、いま改めて思うこと】 | ||||
私は戌歳生まれだが、少年時代にラジオ用テスターを買うため新聞配達のアルバイト中 犬に噛まれたゆえに、今でも犬は 嫌い である。 終戦直後-昭和21年生まれのため、同年世代の数は少なく(小・中 時代はわずか3クラスが、 翌年次からは団塊世代で倍増だった)、いい成績を取りやすく 受験も楽だった。 また長じての国鉄時代は組合との軋轢でつらく苦しい想い出が残るが、 JRになってからは楽しく仕事することができた。ふり返って、有難い企業人生だったと実感している。 |
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さて、最近は終活はやりの風潮があるが、斎藤茂吉の息子で精神科医の斎藤茂太の書いた 「いつか死にゆく人としての小さなけじめ」という本を読んでなるほどと思ったので紹介したい。 |
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【よし、やっておこう!】 | ||||
一つ目の準備は、日記を死ぬ前に処分しろということだ。 鬱憤晴らしを主な目的に長い間日記をつけ続けているが、 昭和天皇-侍従長たる入江相政の日記なら後世役立つが、凡人の日記なぞ屁にもならないことだし、 遺族にしてみたら処分するのも憚られて扱いに困るだけだろう。 |
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次の準備は、いやな奴といえども 今のうちに仲直りしておけということだ。 自分には生涯許せない男が3人ほどいるのだが、自分が死んだとき、 わずかばかりの香典を持って恩着せがましく葬式には来てほしくないと思っていても、 死んでしまったら防ぎようがない。 わが葬式を、天上から悔いることなく眺められるように、和解しておこうと思った。 ところが、いくら考えても 心底 嫌な奴と、仲直りなどできる訳がない。 |
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【そして… 師の教え、有難きかな!】 | ||||
そこで気付いたのだが、奴らより長生きをしてこちらが葬式に行ってケチをつけて 来ればいいということだった。この話にはまだ続きがあって、 私の気付きをご縁を頂く奈良興福寺の多川俊映貫首に打ち明けたところ、一ッ喝 された。 |
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曰く 『なんと愚かな!今さら人を憎むなど情けない。 さらに徳を積み重ねて世の中の役に立てよ!』。 偉大なる師の導きを踏まえ、徳を積むように毎日を過ごし、努力します …見ていてください。 |
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3.(京滋支部)芝崎 昭夫 さま( 72歳を迎えます、S45 化工 元 旭化成)
一巡 り 前の戌年 (H18年1月…60歳の年)に、当時の歳男決意を話しました。 それから早くも十二支が一巡、この間に蔵前同窓の交流はさらに深まりました。 今日は、そのあらましを振り返ります。 |
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蔵前-京滋支部 木田支部長(当時は支部幹事長)の活動をアシストしたのが縁となり、 宮本先輩に誘われて(半強制的に)支部幹事となり、関西5支部との交流スタート。 更に諸先輩の皆様からの暖かくも厳しい激励で今日までの有難い交流が続き、 その範囲(友人の増加含めて)は、この間に ますます広がりました。 |
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【1つのキッカケ】 | ||||
H23(2011)/10、厚労省主催-「全国健康福祉祭り(通称:ねんりんピック)」テニス競技の 滋賀県代表を勝ち得た。代表選手3ペアで熊本県に遠征、この仲間は懇親を深めるために カラオケを楽しむ中で、ヒョンなキッカケから「NHK-のど自慢」地元開催(守山市…H24/ 1月) 機会に予選応募・出場することになった。 (この、ハガキ応募-テニスグループでの参加-準備あれこれ - 予選日の進行 さらに…本番出場(含 下打合せ) にも逸話がたくさん、 応募= 1200件⇒予選参加 = 250組 ⇒ 合格&TV出演は 20組 、想定外の出場となった ) そして、全国放映されたこの番組での出演を、 鶴田先生(大阪支部-近大教授)がTV画面で見つけ、「テニス」に気づく。 つぎへ…… |
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【関西-蔵前 テニス同好会の発足と発展】 | ||||
鶴田先生からの呼びかけがあり、『テニス同好会』がスタートした(発足時は4名)。 一人、またヒトリと参加仲間を呼びかけて、7年目を迎え累計25回(H30/3予定)の活動を 数えている。(新しい仲間が増えている) 多彩な仲間がコートに集まり、まずテニスで良い汗をかき、その後近くの温泉施設で汗を流す。 さらに、館内でビールを飲み交わす懇親会をもって、幅広い交流が続いています。 また1回/年、若狭での合宿ツアー (現地には雀卓x2台の預託あり) にもでかけます。 (詳細は、 関西5支部−テニス同好会の HP ご覧ください) |
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【トライ 々 々、前に向かって…】 | ||||
『ねんりんピック』テニスグループによる「のど自慢」出場は全くの想定外だったが、 この経験により得たことは、何事も迷った時は「思い切って前に進む」ことの重要性である。 すなわち、主役の方から一緒の出場応募を依頼された時に、予選出場を想定しただけでも 腰が引けた。「謹んでお断り」しようかと思ったものの、書類審査段階でのNGとなることを期待、 応募をOKした結果が、まさかまさかの本番出場に至ってしまった。 「のど自慢」は全国向けライブ放送です、舞台の袖で「本番5分前」の声を聞いたとき、 さらに背中から冷や汗が出るのが判った時の心境を思うと、二度と出たいとは思わないが、 逆に二度とできない経験ができたことは、後から思うと何事にも代え難い貴重な体験となった。 つまり このテレビ放送なければ、鶴田先生からの「テニス同好会」発足の提案もナシです。 何事にも思い切って取り組むと「縁が縁を呼び」、 人生が大きく開ける1例なのかと痛感した次第です。 |
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【元気で行こう!】 | ||||
今年の抱負としては 1.テニス 2.カラオケ 3.麻雀 で多くの仲間との交流を更に深め、加えて「カヤック」に 新たに挑戦し、琵琶湖の景色を湖上から眺めることで、新たな発見をしたいと考えます。 |
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※湖から見る景色は全く違います! |
H30年午餐会の計画案…HP 内『午餐会予定』ページに逐次ご案内しますが、
ことしも 盛夏 8 月を除き、原則 『第1火曜日』開催を続けます。
うち、10月は、兵庫県支部の企画による…工場見学(10/2を予定)。
12月 に年次のまとめと忘年会
そして年明け1月(1/8 ? ) は、 亥年(いのしし)歳男さまからの新年抱負を 承る 予定です。
新参加者へのご勧誘含めて、多数のご出席をお待ちします。
新年の乾杯
関西5支部ハイキング 第10回 「石上(いそのかみ)神宮と正暦寺を巡る」 について
日 時: | 5月24日(木)(小雨決行)午前10時集合 (駅前-近くの案内板のあるひろばで集合する事を想定) |
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集合場所: | 天理駅(JR & 近鉄-隣接しています) | |||
参加費: | 無 料 (但し 昼食持参が必要です。JR および 近鉄天理駅に コンビニ があります。) なお 注)昼食は白川ダム近くを考えています |
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ご参考 JR奈良駅 9:40発→JR天理駅 9:53着(桜井線-和歌山行き) 近鉄京都駅 8:50発→近鉄天理駅 9:49着 (京都線-天理行き⇒橿原線-平端駅で天理行きに乗換) 近鉄鶴橋駅 8:57発→近鉄西大寺 9:22着/9:31発→近鉄天理駅 9:49着 (奈良線快速急行-奈良行き⇒橿原線急行-天理行き⇒橿原線-平端駅で天理行きに乗換) |
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参加申込: | メール、TEL&FAXまたはハガキで、 お名前、卒・修了年、学科・専攻、 同伴者数、連絡先(携帯電話番号等)を明記して(5月20日必着) |
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連絡先: | eMail: kojuro@pj8.so-net.ne.jp .0744−42−4706 (Faxとも) 携帯 090−3202−6646 (〒633-0001 奈良県桜井市三輪160−1 池田幸重郎 |
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以上 (作成:長井史夫_S45 生機)