2012.01.10午餐会

万葉の故地を訪ねて

鶴田 隆雄(1967原修、1970原博)

神亀元年冬十月五日、紀伊の国に幸(いでま)しし時、山部宿禰赤人の作れる歌、

わかの浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る。

 

有間皇子、みずから傷みて松が枝を結ぶ歌二首、

磐代の 浜松が枝を 引き結び 真幸(まさき)くあらば また還り見む。

家にあれば 笥(け)に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る。

大宝元年冬十月、太上天皇大行天皇、紀伊の国に幸(いでま)しし時の歌、

藤代の み坂を越ゆと 白たえの わが衣手は 濡れにけるかも。作者不詳

 

明日香川 瀬々の玉藻の うちなびき 心は妹に 寄りにけるかも。作者不詳

 

大津皇子の被死(みまか)らしめらえし時、磐余の池の堤にて悲しみて作りませる御歌一首、

ももづたふ 磐余(いわれ)の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠れなむ。

大津皇子の屍(みかばね)を、葛城の二上山(ふたがみやま)に移し葬(はふ)りし時、
大来皇女(おおくのひめみこ)の哀傷(かな)しみて作りませる御歌二首、

うつそみの 人なる吾や 明日よりは 二上山を 弟背(いろせ)とわが見む。

磯の上に 生うる馬酔木を 手折らめど 見すべき君が ありといわなくに。

 

天皇の、蒲生野に遊猟(みかり)したまいし時、額田の王の作れる歌、

あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る。

皇太子(ひつぎのみこ)の答えたまえる御歌、

 紫草(むらさき)の にほえる妹を 憎くあらば 人妻ゆえに われ恋ひめやも。

 

額田の王の、近江の天皇を思(しの)びて作れる歌一首、

君待つと わが恋いをれば わが屋戸の すだれ動ごかし 秋の風吹く。

鏡の王女(おおきみ)の作れる歌一首、

 風をだに 恋うるはともし 風をだに 来むとし待たば 何か嘆かむ。

 

 信濃なる ちくまの川の さざれ石も 君し踏みてば 玉と拾はむ。作者不詳

 

葛飾の 真間の井見れば 立ちならし 水汲ましけむ 手児名し 想ほゆ。

高橋虫麻呂

 

(天平宝字)三年春正月一日、(大伴家持)因幡の国の庁(まつりごとどころ)に、
国郡の司等に饗(あへ)を給える宴の歌一首、

新(あらた)しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いや重け吉事(よごと)。