関西蔵前午餐会資料

邪馬台国と纏向遺跡

平成21年2月3日
池田幸重郎(39年卒 化工)

1.邪馬台国
@ 魏志倭人伝と卑弥呼
3世紀初頭前後… 倭国乱れ、相攻伐すること歴年、乃ち共に一女子を立てて王と為す。名づけて卑弥呼という。鬼道に事え、能く衆を惑わす。年己に長大なるも、夫婿なく、男弟あり、佐けて国を治む。王となりしより以来、見るある者少なく、婢千人を以て自ら侍せしむ。ただ男子一人あり、飲食を給し、辞を伝え居処に出入りす。宮室・楼観・城柵、厳かに設け、常に人あり、兵を持して守衛す。
239年… 卑弥呼が親魏倭王の称号を受ける。
銅鏡百枚等を賜る。
248年… 卑弥呼死す。
径百余歩の冢を作り、奴婢百余人を殉葬する。

    

注)倭国の乱れ…「後漢書」倭伝によれば178〜184年にあったと推定。

  卑弥呼と台与の時代…180年代後半から280年前後と推定。

A     ヤマト王権

3世紀から4世紀にかけて日本の関東から九州を治める広域の政治連合が出来た。

この政治連合の中枢を構成したのが畿内の政治勢力であった。

ヤマト王権首長の大型前方後円墳の古い順位は箸墓古墳(280m)、西殿塚古墳(234m)、茶臼山古墳(208m)、メスリ山古墳(250m)、行燈山古墳(崇神天皇陵、

 242m)、渋谷向山古墳(景行天皇陵、310m)と推定される。

これらの古墳は奈良盆地の東南部に造営されている。

規模を小さくした前方後円墳がヤマト政権への服属のシンボルとして関東以西に

出現していったと推定されている。

2.纏向遺跡

@     発掘から見た特徴

広大な面積…南北1.5km、東西2km(九州吉野ヶ里遺跡の6倍)

搬入土器が多い…北九州、吉備、山陰、北陸、東海、関東と広い範囲から15%を

        超す土器が持ち込まれている。また大和の土で各地域の様式土器も含まれている。

(普通発掘される土器では5〜6%が搬入土器である)

人と物の交換が盛んな地域と推定。

    土木工具の出土が多い…鋤(主に土木工具)95%、鍬(主に農耕具)5%

    纏向大溝…幅5m、深さ1.2m、総延長2km(推定)

         東南方向と東北方向の二つの水路が合流している。

桧の矢板で護岸されている。

運河で荷物を揚げ降ろしする施設が見つかり、集落をつなぎ大和川

から物資を運ぶ高度な技術を持っていたと推定される。


A     時代区分

縄文・弥生時代ともほとんど遺構、遺物の出土がない。

纏向1式期から古墳時代の遺構、遺物の出土が主である。

(纏向1式期の遺構は比較的少なく、遺跡の盛期は纏向3式〜4式期で3世紀末

 から4世紀前半)

飛鳥から平安時代には「大市」と呼ばれ賑わいの地域と言われている。


B     集落の性格

掘立柱建物がほとんどで、竪穴住居跡はわずか2カ所のみである。

(一般に古墳時代前期までは集落跡は竪穴住居が主流)

他地域からの住人が多いと推定され、都市的な性格を持った集落。

各種の祭祀施設があった。


C     出土品の特徴

祭祀遺物…弧文円板、弧文木製品、弧文石、特殊埴輪片

埴輪群…鶏形、朝顔形

鶏形木製品

木製輪鐙

巾着状絹製品、ベニバナの花粉

木製仮面


D     墳墓の特徴

弥生時代から古墳時代にかけての端境期で、各種の古墳が集まっている。

帆立貝式古墳、纏向型前方後円墳(後円部と前方部の比が約2:1、前方部が

後円丘に比べて著しく低平)、前方後円墳

    纏向石塚古墳

     纏向型前方後円墳 全長96m 後円部径64m 前方部長32m  

     周壕部20m 葺石なし 埴輪なし

     周壕出土木製品の檜の伐採推定年代は200年前後

    勝山古墳

     前方後円墳(柄鏡式) 全長115m 後円部径70m くびれ部幅26m

周壕部25m

     出土材の年輪年代鑑定法で伐採年199年±12年

矢塚古墳

     纏向型前方後円墳 全長93m 後円部と前方部の比が2:1

    東田大塚古墳

 前方後円墳 全長120m 後円部径70m 前方部長50m

    ホケノ山古墳

          前方後円墳(帆立貝式) 全長80m 後円部径60m 前方部長20m

     周壕状 葺石あり 埴輪なし 

     後円部に石囲い木槨 内部には約5mのコウヤマキ製の刳抜式木棺

     出土品に中国製(後漢時代…25〜220年)画文帯神獣鏡や鉄刀、

銅鏃等があった。

    箸墓古墳

     倭迹迹日襲姫命の大市墓(宮内庁管理) 3世紀後半の築造と推定

     精美な最古の大型前方後円墳 全長280m 後円部径155m 高さ29m

     前方部長125m 高さ16m 後円部は5段で前方部は4段の段築。

     周壕は約10mで馬蹄形 葺石あり 特殊器台型埴輪

     最近の発掘で2重堀と推定される。

以上