第576回・関西蔵前午餐会



日時:平成17年11月1日 (火)
会場:中央電気クラブ 317号室
講話:陶山 靖彦 氏 − 昭和 35年 繊維 卒 −
演題:ヴァイオリンの魅力

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1.ヴァイオリンを奏でるアフロディテ]

[2.ストラディヴァリ]
[3.陳昌ゲン氏と糸川博士の方法論の比較
[4.糸川英夫によるヴァイオリンの設計

1.ヴァイオリンを奏でるアフロディテ
「天は二物を与えず」という古いことわざがありますが、「わしはそんなケチなルールなど作った覚えはない」と、天がその証拠品として示してくれているのが、つぎの美人ヴァイオリニストたちです。

わが諏訪内晶子さん:
1990年、国際チャイコフスキーコンクール・ ヴァイオリン部門第一位、しかも史上最年少。

 アナスタシア・チェボタリョーワ:
1994年、同コンクール最高位。2005年、ロシア連邦功労芸術家の称号を授与される。

 アンネ・ゾフィー・ムター:
その昔、13歳のときの演奏会で、客席のカラヤンが驚き惚れこんで世に出した神童。

同じ曲でもその演奏には三人三様の特徴があり、同じ短い曲で聞き比べてみるとよくわかります。例えば、ブラームス作曲「ハンガリア舞曲第2番イ短調」です。3分ほどの短い曲ですが、三人の個性がよく現れています。
☆燃えるような情熱と男勝りのパワーに溢れ絢爛と輝くような,ムターの演奏
☆見かけはおとなしそうなのに意外に奔放で躍動感のある,諏訪内晶子の演奏
☆優雅に抑えながらも秘めた情熱の垣間見られる,華麗なアナスタシアの演奏

くらしき作陽大学には「モスクワ音楽院特別演奏コース」というのがあり、その特任教授としてアナスタシアさんが来ています。アナスタシアさんには三年ほど前に、私たち倉敷管弦楽団の定期演奏会でチャイコフスキー作曲のヴァイオリン協奏曲の独奏部をひいてもらいました。

2.ストラディヴァリ

「木の箱の上に、羊の腸で作った弦を張り、それを馬の尾の毛でこすって、猫の声を出す」楽器といわれ、下手がひけば「鋸の目立て」と言って冷やかされるヴァイオリン。楽器の製作者がこれほど話題になるのはヴァイオリンの他にはないでしょう。その名前は アントニオ・ストラディヴァリ。1台が数億円。最も高価な楽器として知られています。アナスタシアさんのヴァイオリンはTubowskyという名前のストラディヴァリです。諏訪内晶子さんが使っているヴァイオリンもストラディヴァリです。
 イタリアのクレモナ生まれのストラディヴァリ(16〜17世紀)が完成させた素晴らしいヴァイオリンの音色とその製作技術は、ストラディヴァリの死とともに永遠の謎になってしまいました。

現在ではナマで聴けるのが当たり前である最高品のストラディヴァリでも、数百年後には材料的に寿命がきて、あの輝きのある美しい音色が、ナマでは 聴かれなくなるだろうといわれています。音響的にはストラディヴァリ並み の、あるいはそれを超えるヴァイオリンは既に存在していると思われますし、将来も作られることでしょう。しかし、工芸品あるいは芸術品としての気品と美しさをもあわせて考えれば、ストラディヴァリを超えるヴァイオリンは現れないのではないかと私は思います。そのような意味でストラディヴァリ のナマの音色を聴くことのできる時代に生きている私たちは幸せなことではないでしょうか。

 さて、敗戦後のこと、「作れないというのは従来の方法論が間違っている。波動方程式を立て、解を求めるという工学的な方法でアプローチすれば必ず設計できるはずだ」と、ストラディヴァリに挑戦した科学者がいました。名戦闘機隼を設計した糸川英夫。飛行機の設計で鍛え上げ極めた工学の粋をヴァイオリンの設計に注ぎ、45年もの年月をかけて1台のヴァイオリンを完成させました。ヴァイオリン、ヒデオ・イトカワ号はストラディヴァリを超えることができたのか? 設計の基本となった糸川の波動方程式とは?従来の常識を破る糸川のヴァイオリン設計論は私たち技術者にとっても大変興味深いことです。
 糸川英夫は科学によってヴァイオリンの正体を暴いたかに見えます。確かに音響的にはストラディヴァリに匹敵するヴァイオリンが設計・製作されたといえるでしょう。しかし、逆に、それによって益々、ストラディヴァリの魅力が大きくなったのではないでしょうか。ストラディヴァリというヴァイオリンの価値は、音色や音響工学的性能だけではないと。

3.陳昌ゲン氏と糸川博士の方法論の比較
陳昌ゲン1929年韓国慶尚北道生まれ。在日韓国人。1976年第二回アメリカ国際ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ製作者コンクールで、6部門中5部門に金賞受賞。
(「海峡を渡るバイオリン」より)
ちなみに、日本の無量塔蔵六氏も金賞を受賞している。

二人の共通点は、誰にも教わらず独力でヴァイオリンを作ったことです。
また、二人ともヴァイオリン製作にかける情熱は並のものではありませんその取り組み方は正反対、両極端でした。
1) 糸川氏は、典型的な科学技術者であり、試行錯誤せず、サイエンスを唯一の武器として設計する。陳氏は、サイエンスを知らないので、勘と試行錯誤により製作する。
2) ストラディヴァリに向かう姿勢については、糸川氏は、これを超えるヴァイオリンの設計を目指したのに対して、陳氏は、それに近い、実際に使えるヴァイオリンの製作を目指した。
3) 糸川氏は、客観的で科学的な方程式と設計図を残しているので、材料の僅かの違いのほかは、誰でも同じ性能のヴァイオリンができるようになっている。
陳氏は、すべてを自分の経験にしているので、他人には分からない。

4.糸川英夫によるヴァイオリンの設計
名匠といわれる職人たちが練り上げてきたヴァイオリン作りの方法によらず、波動論の方程式をひたすら解き続けて完成したヴァイオリンである。このヴァイオリン「ヒデオ・イトカワ号」は、今後百年たつと最高の音を出し、その後二百年間は、独自の音色を奏で続けるはずである。
(「八十歳のアリア」糸川英夫著より)

4.1 ヴァイオリン設計のきっかけ
敗戦の結果、GHQの命令によって飛行機の製造や研究が禁止され、飛行機屋は失職してしまった。戦後2年、三十五歳のとき、熊谷千尋というヴァイオリンの好きな東大工学部機械科卒の大学院生が訪ねてきた。  「先生は、隼戦闘機を設計したエンジニアだから、それだけの頭脳でヴァイオリンを設計したら、百円くらいの材料で一億円ぐらいの音の出るヴァイオリンができるんじゃないでしょうか。 先生ならば、つくることができるはずです」
{初めに音響学を勉強して、現代物理学の全てを総動員して、要するに、 いいヴァイオリンの音というのはどういう波形のものかを調べて、その同じ波の形が出てくるものを作ればいいのだ。だから振動論を応用すれば理論的には可能だ。第一、二百年も三百年も前の職人が作ったものにこの二十世紀半ばの現代科学が今だに及ばないというのは科学者として屈辱的だ}と考え始めた。
4.2 ヴァイオリン設計の原点
いっとう最初に考えたのは、「一体、ヴァイオリンというのものは、誰のために、どんな音を出すべき楽器なんだろうか」という問題であった。   すなわち、ヴァイオリンのメカニズムと製作のプロセスは全然考えずに、   ヴァイオリンという4オクターブの音域を持つ弦楽器に、「誰が何を要求しているのか」を研究しつくそうと考えたのである。
新しいものごとに対するときには当然の、当たり前の方法論と手順であった。過去にヴァイオリンを作った名人たちのことは、いっさい考えなかった。
#講演者の感想:この本で最も感嘆したところです。要求者の設定は、なんと、ヴァイオリニストではない。
4.3 開発における方法論とステップ
policy開発すべきものに対して、どんなお客のために、どんな機能を持つべきものであるかを知ること。それには、どんなお客が、どんなことを要求しているのかを知ること
step 1 「お客とは一体、誰か」 それは「作曲家である」とした。
#本当に意外でした。
step 2 「お客は実際にどんなことを要求しているか」について、客観的な調査を行う。
すなわち、作曲家の楽譜からヴァイオリンに対する彼らの要求を読み取る。
作曲家というお客の声を聞く方法は、彼らの書き残した五線譜上のオタマジャクシから、彼らのヴァイオリンに対する要求を読み取ることであった。
そこで、昭和23年1年間に、NHKのラジオ放送の中に出てきた曲について、楽譜に書いてある音符を全て調べ、曲に使われている各音の頻度と長さの統計をとってみた。
#大変な作業です。 開発の根拠になるデータに対する真剣さに打たれました。完全に脱帽です。
その結果、楽譜上で作曲家達が最も聴衆に聴いて欲しい音は、僅か四つに絞られていた。A4, E4, D4, A3 の四つで、他の音はこれら四つの音の演奏秒数と比べて平均で半分くらいしか演奏されていない。 すなわち、主役の四つの音がいい状態で出るヴァイオリンをつくることが、お客の要望であることがわかった。
step 3 設計目標を決定する。
1) 主役の四つの音がいい状態で出ること。
2) 美しい音がホールの奥まで透徹して聞こえること。
step 4 機能の測定方法を開発する。
ヴァイオリンに触れずに振動を測定する技術が必要になった。そのために、「音響インピーダンス法」という振動測定技術を開発した。「音響インピーダンスによる微小変位測定法」というヴァイオリンのための論文は学位論文となり、工学博士の学位を得た。
step 5 既存のものを測定し、要求適合性を評価する。
低いほうのA3, とD4, はいいが、高いほうのE4, とA4, はストラディヴァリでも弱かった。
step 6 波動方程式を立て、この方程式を解く。
この波動方程式に、ヴァイオリンの諸元である寸法、板厚さ、弾性率、ポアソン比、比重などを代入してやれば、作りたいものの設計図面をはじきだしてくれるのである。
step 7 材料の要求特性を決め、適合する材料を決める。
木はイタリアではなく、日本中の木を探した。結局、北海道の五葉松(表板)と楓(裏板)になった。奇しくもクレモナで伝統的に使われている木と同じ素材に落ち着いた。
1) それぞれの部品の材料を決める。
2) エイジング方法を考案した。真空状態の中で超音波と赤外線を当てることにより、
二百年の効果を二ヶ月で実現できる方法を考えた。
3) ニスは音響的に関係ない。「ニスに秘密あり」は迷信と考えた。
4) 音響に関係のない部分はできるだけ削って軽量化する。
5) ストラディヴァリでも弱かったE線の鳴りをよくするために、表板の裏側の板の振動
には影響を与えない部分に補強のバス・バーを取り付けた。
以上