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名匠といわれる職人たちが練り上げてきたヴァイオリン作りの方法によらず、波動論の方程式をひたすら解き続けて完成したヴァイオリンである。このヴァイオリン「ヒデオ・イトカワ号」は、今後百年たつと最高の音を出し、その後二百年間は、独自の音色を奏で続けるはずである。 |
4.1 ヴァイオリン設計のきっかけ
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敗戦の結果、GHQの命令によって飛行機の製造や研究が禁止され、飛行機屋は失職してしまった。戦後2年、三十五歳のとき、熊谷千尋というヴァイオリンの好きな東大工学部機械科卒の大学院生が訪ねてきた。 「先生は、隼戦闘機を設計したエンジニアだから、それだけの頭脳でヴァイオリンを設計したら、百円くらいの材料で一億円ぐらいの音の出るヴァイオリンができるんじゃないでしょうか。 先生ならば、つくることができるはずです」
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{初めに音響学を勉強して、現代物理学の全てを総動員して、要するに、 いいヴァイオリンの音というのはどういう波形のものかを調べて、その同じ波の形が出てくるものを作ればいいのだ。だから振動論を応用すれば理論的には可能だ。第一、二百年も三百年も前の職人が作ったものにこの二十世紀半ばの現代科学が今だに及ばないというのは科学者として屈辱的だ}と考え始めた。
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4.2 ヴァイオリン設計の原点
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いっとう最初に考えたのは、「一体、ヴァイオリンというのものは、誰のために、どんな音を出すべき楽器なんだろうか」という問題であった。 すなわち、ヴァイオリンのメカニズムと製作のプロセスは全然考えずに、 ヴァイオリンという4オクターブの音域を持つ弦楽器に、「誰が何を要求しているのか」を研究しつくそうと考えたのである。
新しいものごとに対するときには当然の、当たり前の方法論と手順であった。過去にヴァイオリンを作った名人たちのことは、いっさい考えなかった。
#講演者の感想:この本で最も感嘆したところです。要求者の設定は、なんと、ヴァイオリニストではない。 |
4.3 開発における方法論とステップ
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policy:開発すべきものに対して、どんなお客のために、どんな機能を持つべきものであるかを知ること。それには、どんなお客が、どんなことを要求しているのかを知ること
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step 1 |
「お客とは一体、誰か」 それは「作曲家である」とした。 |
step 2 |
「お客は実際にどんなことを要求しているか」について、客観的な調査を行う。 |
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すなわち、作曲家の楽譜からヴァイオリンに対する彼らの要求を読み取る。
作曲家というお客の声を聞く方法は、彼らの書き残した五線譜上のオタマジャクシから、彼らのヴァイオリンに対する要求を読み取ることであった。
そこで、昭和23年1年間に、NHKのラジオ放送の中に出てきた曲について、楽譜に書いてある音符を全て調べ、曲に使われている各音の頻度と長さの統計をとってみた。
#大変な作業です。 開発の根拠になるデータに対する真剣さに打たれました。完全に脱帽です。
その結果、楽譜上で作曲家達が最も聴衆に聴いて欲しい音は、僅か四つに絞られていた。A4, E4, D4, A3 の四つで、他の音はこれら四つの音の演奏秒数と比べて平均で半分くらいしか演奏されていない。 すなわち、主役の四つの音がいい状態で出るヴァイオリンをつくることが、お客の要望であることがわかった。 |
2) |
美しい音がホールの奥まで透徹して聞こえること。 |
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ヴァイオリンに触れずに振動を測定する技術が必要になった。そのために、「音響インピーダンス法」という振動測定技術を開発した。「音響インピーダンスによる微小変位測定法」というヴァイオリンのための論文は学位論文となり、工学博士の学位を得た。 |
step 5 |
既存のものを測定し、要求適合性を評価する。 |
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低いほうのA3, とD4, はいいが、高いほうのE4, とA4, はストラディヴァリでも弱かった。 |
step 6 |
波動方程式を立て、この方程式を解く。 |
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この波動方程式に、ヴァイオリンの諸元である寸法、板厚さ、弾性率、ポアソン比、比重などを代入してやれば、作りたいものの設計図面をはじきだしてくれるのである。 |
step 7 |
材料の要求特性を決め、適合する材料を決める。 |
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木はイタリアではなく、日本中の木を探した。結局、北海道の五葉松(表板)と楓(裏板)になった。奇しくもクレモナで伝統的に使われている木と同じ素材に落ち着いた。 |
2) |
エイジング方法を考案した。真空状態の中で超音波と赤外線を当てることにより、 |
3) |
ニスは音響的に関係ない。「ニスに秘密あり」は迷信と考えた。 |
4) |
音響に関係のない部分はできるだけ削って軽量化する。 |
5) |
ストラディヴァリでも弱かったE線の鳴りをよくするために、表板の裏側の板の振動 |
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には影響を与えない部分に補強のバス・バーを取り付けた。 |
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